第4回 御所平と信州峠(尾崎喜八)



 数年前,退屈しのぎに近所の古本屋に行き面白そうなものを物色していて偶 然見付けたのが今回紹介する『山の絵本』(1993,岩波)である.著者の尾崎 喜八は,現在ではそこまで世に名の知られた文筆家ではないようだが,理科や 自然に理解を持ち,山を愛した人物で,その文章は当時の新聞・雑誌などで高 い評価を受けていたということである.
 さて,今回紹介するのは筆者も何度も訪れたことのある地域の一つ長野県川 上村に関する作品,「御所平と信州峠」である.この作品は東京新聞の前身で ある都新聞に昭和10年1月18日から21日に掛けて掲載されたもので,小海線で 小淵沢より当時の終点であった清里駅を経て,川上村に到り,信州峠を越えて 増富鉱泉までの旅程が綴られている.
 尾崎とその義弟が旅したのは新年明けてすぐのことで,いかにも趣味人らし い.当時は川上村までは小海線が到達していなかったのでそこにたどり着くま でも長時間の雪中歩行が要されたであろうが,さすが山を愛する人だけあって, 途中も自然から目を離さず,植物,遠景,加えて地元の人々との交流が簡潔で 嫌味のない文章で描写されている.川上村では御所平の「丸正旅館」に投宿し たと述べられているが,どうやら旅館は現在も健在のようである.現在の川上 は高原野菜の生産で名高く,シーズンともなれば全国各地から大型トラックが 押し寄せ,また豊かな自然を求めて鉱物屋,釣り人,登山客で賑わう場所であ るが,当時は信州山中の一寒村に過ぎず,炭焼き,薪売りと登山客の宿などで 細々と生活している場所であったようだ.尾崎は楢の薪(あるいは炭?)でよ うやく十八銭にしかならなかったという土地に都会的な装備をして,道楽で来 ている自分が恥ずかしかったが,それでも正月早々東京からよく来たと歓迎し てくれ,人の心と「千曲錦」の燗の温かかったことを回想している.
 翌日,宿から黒沢川に沿って南下し,現在立派な農道から分岐する高登谷山・ 信州峠方面と書かれた道に入り,尾崎は信州峠を目指したようである.今でこ そ全面舗装・センターライン付きの通りやすい道になってはいるが,数年前ま ではまだ長野県側は未舗装の荒れた路面であった.彼らは丁度植生のない時期 に訪れたため眺望頗る良く,写真の撮影に興じたことが述べられている.その 写真は70年以上も前に撮られたものながら,今と変わらない信州の冬を映して いる(文庫:149ページ).
 彼らは信州峠を越え,黒森集落にて一夜の宿を借りるのであるが,その貧し い家の主婦の「死ぬまでには一度でいいから東京って所が見たいものだね」と いう問いに対し,尾崎は「東京を見たらこの黒森のよさがはっきりわかるでし ょう」と答えている.完全な辺境というものがほぼ消滅してしまった今の日本 においてこのような状況が生まれることは極めて稀であろう.今の人間味のな い物質社会だけに依存し切った人には決して理解しえない一節である.疲れた ら自然の中でゆっくりするというのは,昔から良く聞く事だが,素晴らしい気 分転換になることを知らないまま生活する人が損なものに感じてならない.た まには窓から見える遠くの山や,近所の川の源流の岩の間から滴る最初の一滴 にに思いを巡らせるのも,また面白いものである.

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