競馬場を巡り終えて
| *この文中に出てくる言葉の中には省略されているものがあります。 例…中央=中央競馬、地方=地方競馬、京都=京都競馬場など、特に○○競馬場の「競馬場」という言葉を省略していますが、これは読みやすさの便宜を図ったものですので、どうぞご了承下さい。 *長い文章になっておりますので、お急ぎの方は省略版をご覧下さい。 |
| 1、はじめに 2002年9月3日、道営開催の旭川競馬場にて全国の競馬場37場、41開催(*1)を制覇するに至った。ここでは全場制覇までの過程を振り返るとともに、各競馬場の思い出、そして競馬場に行くことの意味を考えたいと思う。 *1:札幌(中央と地方)、旭川(道営とばんえい)、新潟(中央と地方)、中京(中央と地方)が重複しているため。 2、何故、競馬場を巡ろうとしたのか 私が初めて競馬場に行ったのは1998年夏の京都であった。丁度小倉の改装に伴って京都で夏競馬が行われていた。夏の京都は暑く、お客さんも疎らであった。午前中の下級条件のレースだけ見て帰ったが、驚いたのは競馬場の大きさとレースで轟く蹄の音であった。 私は2000年春に関東に移住するのだが、それまでに行ったのは1999年夏に新装オープンした小倉くらいのものだった。 移住してまず行ったのは中山だった。土曜日でメインレースは韓国馬事会杯だったと思うが、人の多さにびっくりしたものだ。その後行ったのは船橋だった。初めての地方競馬だったが、中央に比べて、器やコースは小さいし、掃除のおばちゃん、おじちゃんの数が少ないので場内も汚い。しかし中央と何か決定的に違った。それはこの時点ではまだ気付いていなかった。 船橋に行った後、東京、大井、川崎、浦和と、中央を含む南関東の競馬場に初めて行った。日本ダービー(東京)の熱狂ぶりには驚いたし、大井、川崎のナイター競馬は面白かった。また、浦和の食べ物のおいしさには感動した。 しかし、私の競馬場に対する向き合い方を変えさせたのは2000年10月の東北遠征であった。 この時は1泊2日で中央の福島、そして南部杯(GI)が行われる盛岡に行く予定だった。1日目の福島を終え、2日目の朝から盛岡に向かった。バスは駅から街を抜け森の中に入っていた。そして森が開けると盛岡競馬場は忽然と現れた。入場門をくぐり、朝の新鮮な空気が心地よかった。名物、ジャンボ焼鳥を食べながらレースを見て、本当に楽しい遠征であった。この時私は「こんなに地方が良いところなら全部行ってみよう。」と思った。また、地方と対比するため中央にも全部行っておく必要も感じた。 競馬場を巡る旅は盛岡からスタートしたと言ってよい。 3、ちょっと基礎勉強 ここで競馬の種類について触れておきたい。 競馬は大別して2つに分けられる。中央競馬と地方競馬だ。中央競馬は日本中央競馬会(JRA)が主催する競馬で、10の競馬場で行われる。対して地方競馬は各自治体が主催する競馬だ。要するに「地方競馬」という言葉は、中央競馬以外が主催する競馬という意味と言ってよい。 また、走っている馬の種類も競馬場によって違う。中央などで走っているのはサラブレッド系(以下サラ系)の馬である。地方でサラ系のレースのみを行っているのは南関東地区である。 そしてもう一つがアラブ系(以下アラ系)の馬である。アラ系の馬はサラ系の原種であるが、サラ系より足が遅いとされ、スピード競馬全盛のこの時代においては衰退の一途を辿っている。しかし多くの地方競馬場はアラ系の競馬を行っている。尚、アラ系のみで競馬を行っている競馬場は福山のみである。 そしてもう一つ忘れてはならないのがばんえい競馬である。ばん馬と呼ばれる大型馬が(正確には何種類か品種があるが、総称としてばん馬と呼ばれる)ソリを曳いて勝負する勇壮な競馬だ。これは北海道のみで行われている。ばんえいコースを持つ競馬場は4つあり、それぞれの市が主催する形になっている。 4、完全制覇までの道のり さて、2000年10月の盛岡の次に初めて行ったのは中央開催の中京であった。メインレースのCBC賞(GII)では、後にGIを制するトロットスターが勝った。他にも秋シーズンは大レースが目白押しで、中央ではテイエムオペラオーが驚異の年間8連勝を飾った年でもあった。 年が明け2001年は遠征ラッシュの年となった。1月に中山、川崎と行った後、「初」の競馬場としてまず行ったのは佐賀であった。その後荒尾、中津と相次いで回り、九州を制覇した。春に入るとまず中央の阪神に始まり、園田、名古屋と関西地区を回った。そして地方開催の新潟に行った。私が大好きだったジェニュインの初年度産駒が走るというからだ。 この後は水沢、上山の東北遠征を行った。この間、皐月賞(中山)、春の天皇賞(京都)、オークス、日本ダービー、安田記念(東京)、宝塚記念(阪神)にも当然行った。宝塚記念後、三条に行った。本当に小さい競馬場で馬場内には何もない夏の三条は、非常に気持ちよかった。 夏から秋にかけては、まず益田に行った。ここも小さい競馬場だが、面白さは他に負けていなかった。馬場とスタンドの間に公道が走っている競馬場は益田の他になかった。さらには1泊2日で福山、高知を車で巡った。 9月最終週からはオールカマー(中山)の後、秋の遠征最盛期を迎えた。まず、高崎、宇都宮と北関東地区から始まった。高崎に行った日は秋晴れで特に楽しかった。スプリンターズS(中山)を挟み、10月に入り、京都大賞典(京都)に行った後、金沢の白山大賞典を見た。金沢もあたたかい場所であった。この関西・北陸遠征が終わると、その2日後には足利に行った。足利に行った日は土砂降りの雨であったが、カメラ片手に頑張った。その翌日には船橋、日曜日には中央の新潟に行った。この時初めて直線1000mのレースを見て、なんだか不思議な感覚だった。さらにその週には笠松に行った。雨こそ降っていたが馬場内の利用方法や、他にない特徴が多く、また行きたい競馬場の一つになった。 この後菊花賞(京都)、秋の天皇賞(東京)を挟み、10月最後の日は大井の第1回JBCを見た。その翌日には姫路に行った。公園内にある姫路競馬場は親子連れのお客さんが多かった。しかし、わずか6週間で12の競馬場に行き(内、初は7場)、14日競馬を楽しんだことになる。 11月後半には、ついに北の大地に足を踏み入れた。この北海道遠征では門別、帯広の2場を回った。帯広では初めてばんえい競馬を見た。尚、帯広から帰った次の日はJCD、そして次の日はJC(いずれも東京)で、忙しい週となった。 12月は中山が中心になったが、間に浦和、船橋なども入った。有馬記念(中山)を迎えて今年も終わりかと思ったが、まだ終わらない。有馬記念の後には川崎(全日本2歳優駿)、大井(東京大賞典)に行き、12月30日の地方開催の中京で締めくくった。まさに怒涛の1年間であり、北海道を残すのみとなった。 2002年は北海道を目標として頑張った。まず4月にばんえい開催の旭川に行き、5月に道営開催の札幌、6月には北見に行った。いずれも日帰りでの遠征となりかなり無理をしたが、見応えのある競馬場が続いた。そして9月1日からの北海道遠征にて旅も終わりを迎えた。9月1日に中央開催の札幌、2日に岩見沢、3日に道営開催の旭川を訪れ完全制覇となった。 ざっと流れを見てきたが、詳しくは「競馬場を巡る頁」の各競馬場の頁を見ていただきたい。 5、中央、地方、それぞれの良さ 先ほど述べたが、競馬には中央競馬と地方競馬がある。中央には中央の良さがあり、地方には地方の良さがある。 中央の良さは「歴史に残る馬を多く見ることができる」点ではなかろうか。地方にも名馬、名勝負は数多く存在するのだが、テレビなどでよく登場するのは中央の馬であり、その場にいたということは誇りに思ってよいのではないか。それが生まれる背景には、中央特有の広い芝コースが作り出すスピードであり、このコースが速い馬を生み出してきたと言ってよい。また、生産者が日本ダービーを勝つことを目標とすることからも、中央競馬の存在の大きさが窺える。 対して地方の良さは一言では言い切れない。まず、騎手の技術の高さである。最近は中央、地方の交流が盛んになり、地方騎手の高い技術が全国に知れ渡っている。その背景には地方の低い賞金体系が絡んでいる。つまり「一つでも上の着順を」という各騎手のハングリー精神が技術の向上をもたらすのだ。そして、地元の競馬場で見せる名騎手の手綱捌きは、自ら行かなければ分からない。 次にスタンドと馬の近さだ。中央にはない馬の蹄の音の大きさ、騎手の掛け声が間近に聞けるのも地方独特の良さだ。レースを身近に感じることができる。 そしてのんびりとした競馬場全体の雰囲気が良い。地方ではベビーカーを押した親子連れの姿をよく見かけるが、これはなんとも和やかな光景である。ちなみに中央では人が多すぎてベビーカーなどはかえって危険である。また、田舎にある競馬場は空気が良いし、都会にある競馬場はその一角だけ時がゆっくり流れているような感覚になる。それはオールドファンが「どこか懐かしい場所」といった表現をすることからも察しがつく。 あと忘れてはならないのが各競馬場の味である。盛岡のジャンボ焼鳥、船橋のもつ煮込み、札幌の牛丼、佐賀のイカ天…。言えばキリがないが、それぞれの競馬場における独特の味を堪能できるのも地方ならではだ。また、これを売っているおばちゃん達の笑顔も忘れることはできない。 これらを総合して、地方は人との触れ合いが多く、その土地の特徴がよく表れている。これが地方最大の良さと言ってよい。売店のおばちゃん、おじちゃんの表情や、お客さんがその土地の言葉を使って話すのも、その土地でしか見られないものだ。これが地方に行ったときの楽しみだ。 6、地方の危機 今、日本の競馬は中央中心で、地方は赤字経営の競馬場が殆どである。私が競馬場巡りを開始してからも中津、三条、益田の3つの競馬場が消えた。この危機を救うことはできないのだろうか。 地方では様々なイベントを催したり、中央や他の競馬場のレースを発売したり、市民から賞金を調達して冠レースを施行したりと、様々な努力をして生き残ろうとしている。しかしこれが売上アップに直接つながっていることは言えず、赤字は累積される一方だ。結果的に賞金カットなどで競馬サークル内に悪い影響が出てくる。 自治体はバブル期に散々財源として貢献してきた競馬を、不景気になったとともにあっさりと切ってしまおうとしている。2001年の中津の廃止の影響は大きかった。市の一方的な廃止で波紋を呼んだが、その影響は他の自治体の廃止に対する勢いとなってしまった。これからも廃止の方向で進める自治体は少なくないだろう。 競馬場は市民の憩の場であったり、土地によっては馬という動物を見る貴重な場でもある。しかし私が最も主張したいのは「競馬場はその土地の顔である」という点だ。先ほども述べたが、競馬場に行けば、その土地の人と触れ合うことができ、その触れ合いが土地柄を知る手がかりになる。言わば「生きている」郷土資料館のようなものだ。 各自治体は競馬場を残す意味を再度考えてもらい、何とか存続を考えてもらいたいものだ。 7、おわりに これまでに短期間ながら多くの人に触れ合い、多くの名馬、名勝負を見てきたことは、自分の中で素晴らしい財産になったと思う。ここまで来るには多くの人の援助が不可欠であった。 まず、九州方面や益田では常に同行してくれたT.M氏、京都ではいつもお世話になっているM.K氏、以前関西方面の遠征の際はよくお世話になったA.O氏には感謝しなければならない。あと、中央の大レースの際、わざわざ関東に来てくれ、中津にも同行してくれたH.M氏、福山に一緒に来てくれたT.I氏にもお礼を述べたい。 これからも競馬場には足を運ぶことになるだろう。これまでどおり現場主義は貫きたい。しかし競馬場を一周したことにより、自分の競馬に対する方針や考え方が変わってもいいように思う。今までは忙しく競馬を見てきたが、これからはじっくりと、そしてより濃く競馬を楽しみたい。 しかし、それも馬がいて、競馬場があってこそのもの。 私は馬がいる競馬場が大好きだ。 |
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